
NHK連続テレビ小説『ブラッサム』では、主人公・珠たちが同人誌「黎明」を作ります。
また、角田忍が平塚らいてうに関心を寄せる姿も描かれ、平塚らいてうにも注目が集まっています。
平塚らいてうは、女性が自分の考えや生き方を表現する道を切り開いた人物です。
この記事では、平塚らいてうの人物像や「青鞜」の意味、そして忍が中心となって作った「黎明」が珠に与えた影響を紹介します。
ブラッサムで平塚らいてうが話題になったのはなぜ?
『ブラッサム』では、女性たちが自分の思いを文章にし、仲間とともに同人誌「黎明」発表する姿が描かれます。
その流れで登場するのが、平塚らいてうと、彼女が創刊した「青鞜」です。
当時の女性にとって、自分の意見を公に発表することは簡単ではありませんでした。
「青鞜」は、女性たちが文学や社会について考え、文章を通して自分を表現する場となりました。
そんな角田忍が憧れた平塚らいてうがどんな人物なのか、また忍や珠とのつながりをまとめました。
角田忍が心を動かされた平塚らいてうの言葉

ドラマ内で実際に珠の友人である忍が熱く語る場面が印象的でしたね。
平塚らいてうにあこがれている忍の影響を受けて、珠も変わっていったのかもしれません。
平塚らいてうの言葉として広く知られているのが、「元始、女性は実に太陽であった」です。
これは、女性が本来持っている力や尊厳を見つめ直そうと呼びかける言葉として受け止められてきました。
忍がこの言葉やらいてうの活動に関心を寄せるのは、女性が自分らしく生きることを願う気持ちが、彼女自身の問題意識と重なるからだと考えられます。
女性の生き方を問いかけた「青鞜」の存在
「青鞜」は、平塚らいてうらが中心となって創刊した女性文芸誌です。
女性たちが作品や論考を発表し、自分たちの視点から社会や暮らしを見つめる場になりました。
雑誌を作り、文章を世に出すことは、女性たちが自分の考えを言葉にして届ける行為でもありました。
「青鞜」は、女性が自ら表現することの大切さを示した存在として知られています。
平塚らいてうとはどんな人物?

平塚らいてうは、明治から昭和にかけて活動した思想家・女性解放運動家です。
女性が社会の中でどのように生きるのかを問い続け、雑誌の創刊や社会運動を通して自らの考えを発信しました。
彼女の活動は、女性たちが自分の声を持ち、社会に参加していくための道筋の一つとなりました。
明治から昭和を生きた女性解放運動家
平塚らいてうは、女性が家庭の中だけに役割を限られず、自分自身の考えや可能性を大切にできる社会を求めました。
文章を書くことに加えて、女性の権利や社会参加に関わる活動にも取り組みました。
その生涯を通して、女性の生き方は誰かに決められるものではなく、女性自身が考え、選び取るものだという姿勢を示しました。
平塚らいてうの生涯を簡単に紹介
若い頃から自分の生き方を考えた
平塚らいてうは、東京で生まれました。本名は明(はる)です。日本女子大学校(現在の日本女子大学)で学び、卒業後は禅の修行を経験しました。女性に求められる役割や、結婚・家族のあり方について考え続けたことが、後の活動につながります。
「青鞜」を創刊し、女性の声を発信
1911年、らいてうは女性たちとともに文芸誌「青鞜」を創刊しました。創刊の辞の冒頭にある「元始、女性は実に太陽であった」は、女性が自ら輝く存在だったという考えを示す言葉です。
「青鞜」は、女性が書き手となって作品や意見を発表する場でした。女性の自立や恋愛、結婚、社会での役割などをめぐる議論を呼び、当時の社会に大きな反響を与えました。
母性保護論争と女性の権利
1918年ごろには、作家の与謝野晶子との間で「母性保護論争」が起こりました。らいてうは、母親が子どもを育てる責任を社会も支えるべきだと主張しました。一方、与謝野晶子は、女性の経済的な自立を重視しました。
意見は異なりましたが、女性の生活や権利を社会全体でどう支えるかを広く議論するきっかけになりました。
新婦人協会を設立
1920年、らいてうは市川房枝や奥むめおらと「新婦人協会」を結成しました。女性の政治参加や権利の拡大を目指し、女性が政治集会に参加することを制限していた法律の改正運動などに取り組みました。
戦後も平和運動に参加
戦後は、女性団体や平和運動に関わりました。1953年には日本婦人団体連合会の初代会長に就任し、核兵器や戦争に反対する活動にも取り組みました。
平塚らいてうは、女性の自立や社会参加について考え、文章や運動を通して発信を続けました。
若い頃には「青鞜」の創刊に携わり、その後も女性の権利や平和をめぐる活動に取り組みました。
彼女の生涯を知ると、「青鞜」が単なる文学雑誌ではなく、女性たちが社会に向けて声を届けるための場だったことが見えてきます。
平塚らいてうが創刊した「青鞜」とは?
「青鞜」は、平塚らいてうらが1911年に創刊した女性文芸誌です。女性の書き手による作品や論考を掲載し、女性自身の視点から文学や社会を考える場となりました。
女性たちが自分の思いや作品を発表した雑誌
「青鞜」には、女性たちの作品や意見が掲載されました。
女性が自分の言葉で考えを表現し、それを読者に届けることには大きな意味がありました。
書き手たちは、作品を発表するだけでなく、女性の生き方や社会のあり方についても問いを投げかけました。

ブラッサム内でも「黎明」を創刊したことで、学校から次にこのようなことをしたら退学とまで言われてしまう時代です。
女性は良妻賢母が良しとされる時代だったことがわかります。
「青鞜」の創刊が当時の社会に与えた影響
「青鞜」の創刊は、女性が自ら雑誌を作り、考えを世に問う動きとして注目されました。
女性の表現や自立をめぐる議論が広がるきっかけの一つとなり、後の女性運動にもつながっていきます。
作品や主張を発表する場を女性自身が築いたことは、女性の声が社会に届くための重要な一歩でした。
ブラッサムの角田忍は平塚らいてうにあこがれていた?
『ブラッサム』では、角田忍が平塚らいてうに関心を寄せる姿が描かれています。
忍がらいてうにひかれる背景には、女性の生き方や社会のあり方に対する共感があると考えられます。
平塚らいてうは、自分の考えを文章にし、同じ時代を生きる女性たちに向けて発信しました。
忍にとって、その姿は「自分たちも声を上げていい」という勇気につながったのかもしれません。
角田忍が平塚らいてうに関心を持ったきっかけ
忍は、女性が置かれた状況に疑問を抱き、自分たちの思いを言葉にすることに関心を持っています。
平塚らいてうの活動や「青鞜」の存在を知ることで、女性が自ら発信する可能性に目を向けたのでしょう。
『ブラッサム』の珠たちが女学生として「黎明」を作る時期は、主に1910年代ごろ。
平塚らいてうは1886年生まれで、1911年に『青鞜』を創刊したため、当時は20代半ばでした
忍は「少し上の世代の先駆者」としてらいてうに憧れたようですね。
平塚らいてうのどんな考え方にあこがれたのか
忍があこがれたのは、らいてうの知名度だけではなく、女性自身が考えを持ち、それを社会に向けて伝えた姿勢ではないでしょうか。
自分の言葉で発信することを恐れず、新しい場を作った点に、忍は強くひかれたと考えられます。

ブラッサム内でも忍の凛とした姿や、珠たち四人の友情や社会に対するもどかしさが伝わってきます。
忍は4人の中でもリーダー的な存在で、結婚のことや文章を書くことに諦めに似た感情を抱く珠にも、大きな影響を与えています。
平塚らいてうと角田忍の共通点は?
平塚らいてうと角田忍には、女性が自分らしく生きられる社会を願い、その思いを言葉にしようとする共通点があります。
女性の生き方について自分の考えを持っていた
らいてうも忍も、女性の生き方を周囲の決まりに任せきりにせず、自分たちで考える必要があるという問題意識を持っています。
時代や立場は異なりますが、女性が自分の人生を選ぶことを大切にしている点で重なります。
言葉や文章で思いを伝えようとした
平塚らいてうは文章や雑誌を通じて考えを発信し、忍も同人誌を作ることで仲間の思いを形にしようとします。
文章を書くことを、個人の表現にとどめず、周囲と考えを共有する方法として使っている点も共通しています。
同時代の女性たちに影響を与えた
らいてうの活動は、女性たちが自ら表現することの可能性を示しました。
忍も「黎明」の創刊を通して、珠をはじめとする仲間に刺激を与えます。
二人の行動は、周囲の女性たちが自分の思いを見つめるきっかけになっています。
角田忍が中心になって作った同人誌「黎明」の意味合いとは?主人公・珠に与えた影響とは?
『ブラッサム』で忍たちが作った同人誌「黎明」は、仲間がそれぞれの思いや作品を持ち寄り、一冊にまとめたものです。
「黎明」という言葉には夜明けや明け方、転じて新しい時代の始まりという意味があります。
「黎明」の意味は夜明け、新しい時代の始まり
夜明けは、暗い時間が終わり、新しい一日が始まるときです。
同人誌の名前に「黎明」を選んだことには、女性たちが自分の声を発し、新しい一歩を踏み出そうとする思いが重なります。
忍が中心となって「黎明」を作ることは、仲間の思いを集め、外へ届ける場を作ることでもあります。
自分一人で主張するのではなく、女性たちがそれぞれの言葉で参加できる場所を用意したことに、忍の行動の意味があります。
「黎明」を通して珠が受けた影響
「黎明」は、珠にとって自分の考えや作品を仲間と共有する経験になりました。
誰かの文章に触れ、自分の言葉を読んでもらうことで、珠は表現することの手応えを感じていきます。
忍が作った場は、珠が書き手として成長するきっかけの一つになったといえるでしょう。
「青鞜」と「黎明」に通じる、女性たちの表現の場
「青鞜」とドラマの「黎明」は、時代背景や実在性の異なるものです。
ただ、女性たちが文章や作品を発表し、自分たちの考えを共有する場という点では通じるものがあります。
らいてうらが「青鞜」を通して女性の表現の場を築いたように、忍たちも「黎明」を作ることで、仲間が声を届けるきっかけを作りました。
まとめ|平塚らいてうと「青鞜」が角田忍や珠たちに与えた影響
平塚らいてうは、「青鞜」の創刊を通して、女性たちが自分の考えや作品を発表する場を築いた人物です。
女性が自らの言葉で社会に問いを投げかけたことは、その後の女性の表現や運動にもつながっていきました。
『ブラッサム』の角田忍も、女性が自分の思いを発信することに可能性を見いだし、同人誌「黎明」の創刊を中心になって進めます。
「黎明」は新しい始まりを感じさせる名前であり、珠にとっても書き手として一歩を踏み出す場となりました。
平塚らいてうと忍、そして「青鞜」と「黎明」。
それぞれの時代に女性たちが作った表現の場に注目すると、『ブラッサム』の物語をより深く楽しめそうです。

女性の主張や権利はなかなか認められない時代に生きていて、人と違った考えを主張するというのはかなり勇気がいることですよね。
そんな女性たちの戦いの物語でもあるのだなと思って観ています。
現代でも共通する事柄があるからこそ、心に響くものがありますよ。