
朝ドラ『ブラッサム』で、珠(石橋静河)の初恋相手として登場した島村辰彦。
工藤阿須加さんが演じる島村先生との恋は、やがて「あいびき騒動」と呼ばれる噂に発展し、珠の仕事や暮らしを大きく揺さぶっていきます。
島村辰彦は実在した人物なのでしょうか。

ドラマ内では、最初はみんなが素敵な先生!と思ったのもつかの間…
器の小さな男のようで、しかも男だからという理由で社会に守られている島村先生にはがっかりしてしまった人も多いですよね。
実は、珠のモデルである作家・宇野千代にも、教師時代に同僚へ恋をした経験がありました。
自伝である「生きていく、私」に同僚教師と恋をしたことが書かれているんです。
ドラマの展開と史実を照らし合わせながら、島村先生の役どころや、珠の初恋が物語に残したものを見ていきます。
※以下、ドラマの展開に触れています。
島村先生はどんな人?工藤阿須加が演じる島村辰彦の役どころ
島村辰彦は、珠が代用教員として働く小学校に赴任してきた教師です。
演じるのは工藤阿須加さん。
珠にとって島村は、職場で出会い、初めて恋心を抱く相手として描かれます。
珠が島村に惹かれていくきっかけの一つは、化粧をして出勤した珠を島村が受け止めてくれたことでした。
当時の周囲からは、女性が化粧をして働くことに厳しい目が向けられます。
そんな中、島村は珠を頭ごなしに否定せず、彼女の気持ちに寄り添うような言葉をかけました。

2人とも2年生の担任になるのですが、子どもへの考え方や教育に対しての姿勢など、惹かれるものがあったのでしょうね。
珠にとって、島村は単に「好きになった人」ではありません。
自分らしくあろうとする姿を肯定してくれた相手でもありました。
だからこそ、二人の関係が噂に変わり、珠だけが責められる展開は、初恋の切なさにとどまらない苦さを感じさせます。
珠の初恋は「あいびき騒動」へ――岩国に広がる噂
島村との距離が縮まるにつれ、珠の恋は周囲の噂の的になっていきます。
島村と会っていたことが「あいびき」として語られ、珠は岩国で就職することさえ難しい状況に追い込まれていきました。
噂は、事実から離れて膨らんでいきます。
島村先生が包丁を返しただけなのに、「振り回した」という話に変わってしまうのです。
何気ない出来事まで悪意のある物語に作り替えられ、珠の評判をさらに傷つけていきます。
この噂の広がりは、珠の恋愛をめぐる問題だけではありません。
周囲が何を事実として扱い、誰の言い分を信じるのかという問題でもあります。
島村との関係をめぐって、珠は自分の行動を説明する機会を十分に与えられないまま、「よくない噂のある女性」として見られていきます。
葉野酒造を解雇された珠――就職先まで奪った噂の影響
岩国で仕事を見つけられずにいた珠に、リョウが口利きをしてくれます。
そうして珠は葉野酒造で働き始めますが、ここでも噂が追いかけてきます。
珠を雇ったことで、お得意様から契約を切られた――そう告げた清重は、珠に解雇を言い渡します。
珠の働きぶりではなく、彼女を雇ったことによる取引先への影響が解雇の理由となりました。
島村との恋をめぐる噂は、学校を離れた後も珠の生活を縛り続けます。
ようやく得た仕事まで失い、別の職を探しても見つからない。
初恋の挫折が、仕事や暮らしの場を奪う現実へとつながっているのです。
木村家から届いた提案――保の世話係、そして結婚の話
仕事が見つからず困っていた珠に、以前結婚した木村家の母から提案が届きます。

兄と結婚してすぐに離婚した、あの家の弟でしたよね。
確かにあれで終わる感じはなかったですしね。
それは、弟の保の世話係を務めること。
そして、先々は保と結婚してはどうか、という話でした。
働き口を失った珠にとって、この提案は当面の生活を支える機会になり得ます。
一方で、世話係として木村家に入ることと、結婚相手として見られることは、同じではありません。
珠自身が何を望むのか、どんな人生を選びたいのかが、また周囲の都合に押し流されてしまう危うさもあります。
島村との初恋によって仕事を失った珠に、今度は別の家の一員になる道が示されます。
この提案を珠がどう受け止めるのかは、彼女が自分の生き方を選び取れるのかを考えるうえでも、大切な節目になりそうです。

下宿先では兄と妹ってなんか無理ありますよね
宇野千代にも「初恋の先生」がいた?
珠のモデルである宇野千代は、代用教員として働いていた時期に、同じ学校の男性教師と恋に落ちたと伝えられています。
宇野千代の自伝などには、教師時代の恋愛と、その恋が学校を去ることにつながった経験が描かれています。

この時代に女性が職業を持ち、自ら恋愛相手や生き方を選び、経済的にも自立して生きていくことは、とても難しいことだったと感じます。
この点では、珠が同僚教師に恋をし、その関係をめぐる噂によって教職を離れるというドラマの展開と、宇野千代の経験には重なる部分があります。
恋愛が周囲に問題視され、女性側が仕事を失うという構図も、二つの物語をつなぐ要素の一つです。
ただし、史実に伝わる宇野千代の経験と、ドラマの細部はフィクションなので必ずしも同じではありません。
『ブラッサム』では、噂が岩国での再就職を難しくし、包丁をめぐる話や葉野酒造での解雇にも影響しています。
こうした展開のすべてが、宇野千代の実体験と同じではないでしょう。
島村先生に実在モデルはいる?ドラマと史実の違い

写真:近代日本人の肖像より引用
島村辰彦本人の実在モデルが誰なのかは、明らかになっていません。
宇野千代に同僚教師との恋愛経験があったことから、島村先生はその初恋のエピソードをもとにした人物と考えられますが、島村と史実の教師を同一人物だと断定することはできません。
人物そのもののモデルは未公表とされています。
ドラマでは、島村との出会いが珠の初恋として描かれるだけでなく、その後の噂や就職難にもつながっています。
あいびき騒動、包丁をめぐる尾ひれのついた噂、葉野酒造での解雇、木村家からの提案は、物語の中で珠が直面する出来事です。
宇野千代の自伝「生きて行く私」には先生時代に恋愛関係となった男性教師のことが書かれてはいるんです。
「生きて行く私」に登場する同僚教師・佐伯正夫
師範学校を卒業した訓導
「生きて行く私」によれば、佐伯は高等女学校を卒業して尋常小学校の代用教員となった宇野千代とは異なり、佐伯正夫は正規の教員養成を受けた教師だったそうです。

宇野千代は「生きていく私」の中でこの佐伯に一目ぼれをしたと回想しており、
積極的な行動に出たことも書かれているんです。
実際にどんな関係性だったのか?
佐伯が甲組、宇野千代が乙組の担任
「生きて行く私」によると、宇野千代と佐伯正夫はともに尋常小学校2年生の学級担任になりました。
佐伯が2年甲組、宇野千代が2年乙組を担当します。
この「甲」「乙」という言い方も優劣を表したものであり、このクラスの呼び方について「甲乙とわけてよぶことをやめよう」と提案するような、良識のある人物だったようです。

外見に一目ぼれしただけでなく、子どもに対しての誠実さや仕事への情熱にひかれた部分があったのでしょうね。
ドラマでも同じような場面が描かれていましたね。
宇野千代の回想によれば、この甲乙というクラス分けは、前者は「優等生組」で後者を「劣等生組」として、生徒たちの成績などの優劣の違いを露骨に示す振り分けだったようです。
宇野千代と同僚教師は次第に恋愛関係へ
昆布の煮物を作って佐伯の下宿へ
教師として児童への教育や指導については熱心で厳格だった宇野千代ですが、自身の恋愛となると行動はかなり大胆でした。
「生きて行く私」によれば、宇野千代は昆布の煮物などを作り、佐伯の下宿へ持って行ったこともありました。
現代風に言えば、まだ結婚していない男性の身の回りの世話を焼く「押しかけ女房」のような行動です。
宇野千代は後年、数多くの恋愛を経験することになりますが、18歳ごろにはすでに、好きになった男性へ自分から積極的に近づいていく一面が表れていました。
授業中に手紙を書いて児童に届けさせる
さらに驚かされることが、佐伯との手紙のやり取りです。
宇野千代は授業中に佐伯へ手紙を書き、その手紙を自分が受け持っていた児童に持たせて届けさせることもあったと「生きて行く私」で回想しています。
おかずを持って行くことを知らせる手紙を、自分が指導する児童に届けさせたと自分で語っていることから、教師としての厳格さとはかなり対照的です。
つまり宇野千代は、児童への教育態度は厳しい一方、恋愛についてはすでに大胆で行動力のある若い女性だったことが分かります。
後に何度も恋愛や結婚を経験し、それらを小説の題材にしていく宇野千代の人物像は、短い教師生活のころにもすでに現れていたと言えるでしょう。

ドラマ内では落としてしまった手紙を勝手に生徒が届けるといった内容に改められていましたが、実際に二人は生徒に手紙を届けてもらって文通をしていたのでしょうか。
この時代には考えられないかなり大胆な行動ですね。
「佐伯正夫」は仮名の可能性も
ただし、「佐伯正夫」という名前が史実上の実名だったのかは確認できません。
「生きて行く私」では、一部の実在人物が仮名で登場します。
たとえば、
・藤村亮一 → 「雄一」
・藤村忠 → 「悟」
というように、実際とは異なる名前が使われています。
また「宇野千代全集 第12巻」に収録されている年譜でも、1915(大正4)年の退職理由について、
学校の同僚との恋愛により、
宇野千代 宇野千代全集 第12巻 中央公論社 271ページ
と記されているだけで、恋愛相手の個人名は記載されていません。
珠の初恋が『ブラッサム』にとって持つ意味
珠の初恋は、恋が実るかどうかだけを描くエピソードではありません。
島村に惹かれた珠は、恋愛をきっかけに周囲から噂され、教師の仕事を失い、再就職先でも居場所を奪われていきます。
しかも噂は、事実を歪めながら珠の行く先を塞いでいきました。
それでも、珠の人生はそこで止まりません。
木村家からの提案を受けるのか、別の道を探すのか。
物語は、珠が周囲の判断に従うだけでなく、自分の人生をどう選ぶのかへと進んでいきます。
宇野千代も、教師を辞めた後に故郷を離れ、さまざまな土地や仕事を経験して作家への道を歩みました。
珠の初恋とその後の苦境は、彼女がどんな経験を経て書く人になっていくのかを描く出発点の一つです。
島村先生が実在したかどうかだけでなく、珠の恋と噂が彼女の人生をどう動かしていくのかにも注目したいところです。

もしこの初恋が実っていたら、珠の人生は全く違うものになっていたことでしょうね。
岩国から出るきっかけにもなったので、とても重要なエピソードでした。